1920年代のローセフの著作『名の哲学』の読解を通じて、彼の言語論の特色やそれが形成された同時代の状況との関わりについての検討を行い、二つの国際シンポジウムで成果報告を行った。 ローセフの言語論においては独特な「シンボル論」が展開されているが、その一源泉として20世紀初頭のロシア後期象徴主義におけるシンボル論が挙げられる。そこでは不可視の領域を示唆する「物」としての「シンボル」理解が一般的であるが、ローセフの言語論においては、まさにそれ自体が一つの「物」であり、かつ自らと異なる「他のもの」を指示するシンボル機能が言語の一つの本質として提示されている。この意味で、ローセフの言語論は言語を存在論的・シンボル論的に理解することに多大な関心を向けていることが理解される。 そして、このことは言語論の具体的な問題としての対象指示を考える場合に一つの興味深い視点を提供するものとなる。ローセフは指示される物と指示する言葉との対応という通常の記号論的観点を許容しつつも、実際の指示においては対象の本質理解が一定程度伴うことから、言語の使用を発話者による一方的な行為と見るのではなく、対象との相互関係的行為として捉えることに重きを置いている。この背景にはフンボルトに代表される生成論的な言語観があると言えるが、ローセフはその論理的な枠組みとして古典的なプラトニズムとキリスト教神学の三位一体論を応用した弁証法を打ち出している。それによって、存在論と認識論、そして言語論という西欧哲学史における主要な関心の重積を独特な姿で表現した言語論の確立を目指していたと考えられる。従って、ローセフの言語論は近代的な言語学と言語哲学の根底に関わる問題意識を内在しつつも、それを独自な形で展開したものであると言える。これは、言語哲学の可能性を考える上で極めて示唆的な事例となると考える。
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