『純粋理性批判』は、純粋理性による形而上学的認識の可能性とその限界を規定する「形而上学批判」を本務とし、これを「超越論的論理学」という画期的な理念の下に遂行することは周知の事実である。しかし、「超越論的論理学」と並んで、それから明確に区別される「一般論理学」という理念もまた『純粋理性批判』においてはじめて提示されていることは、これまでのカント解釈においてあまり注目されていない。「一般論理学」の成立が「超越論的論理学」の成立と相即した関係にあるとすれば、前者の成立の意味を問うことは後者のそれを問うことと本質的に連関する。『純粋理性批判』を「論理学批判」という観点から考察することによって、その「形而上学批判」の意義をより明らかにしうるのではないか。本研究はこの着想を基本にしている。 「一般論理学」の成立を、「超越論的論理学」の成立との相即的な関係において考察するために、「一般論理学」が成立する哲学的背景を、その成立の前史から遡及的に見通すことを試みる。本年度は、1762-64年におけるカントの諸著作を検討することによって次の点を明らかにした。 1 当時のカントは、判断の本質を主語による述語の内容的包含のうちに見ている。これは「内包的論理学」と呼ばれるような論理学観であること。 2 この「内包的論理学」は、学問の方法、真理論、対象論において、60年代のカントの哲学的思考を支配する体系的基礎をなしていること。 3 しかし、この当時同時に、この基礎に立つかぎり処理しきれない問題-「現実性」と「因果性」-が自覚されることによってすでに「内包的論理学」の限界が露呈されていたこと。 この成果を基に、1770年以降のカントの思想の論理学上の変化を、その哲学的思考の変化との関係において考察することが次年度の課題である。
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