「知識(knowledge)とは何か」という問いに対する古典的な解答のひとつに、「知識とは正当化された真なる信念(justifiedture knowledge)である」という分析がある。「真なる信念」が「知識」となるためには「正当化」が必要である。この「正当化」が具体的に何であるかを厳密に明らかにしようとするのが「正当化理論」である。現在、正当化理論において「徳」という概念が注目を集めている。 西洋の古典的な認識論において、この正当化は「対象と信念の間の因果関係」だと理解されていた。しかし、A.ゴールドマンらが指摘したように、対象と信念の間に因果関係が成立している場合でも、その信念を知識と呼べない場合が考えられる。例えば、ある美術品の本物と贋物が目の前にあったとして、たまたま本物の方を「本物だ」と言い当てたとしても、その人に、真贋を見分ける十分な能力が備わっていなければ、彼がそれを「知っている」とは言えない。 では因果関係以上の何が必要なのか。この問いに、現代の一部の論者たちは「徳」(virtue)という言葉で答えようとする。例えば今の例で言うと、「真贋を見分ける十分な能力」は、一種の「徳」であり、そのような「徳」が備わっている人が持つ信念が「知識」と言えるのだ、と論じようとする。つまり、「徳」とは、単なる一度限りの因果関係ではなく、様々な状況において、非常に安定して、真なる信念を生み出すことができるプロセスのことである。 このように、現代認識論において用いられる「徳」は、対象と信念の単なる因果関係という図式の欠点を補うべく導入されている。この概念をさらに詳しく検討することが重要だが、更に、このような「徳」の理解が、西洋古典思想における「徳」概念とどのような関係にあるのかを明らかにすることが次年度の課題である。
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