今年度は、「継起する音色の音楽的論理」としての音色旋律というシェーンベルクの初期概念に対して1918年以降の第1の受容器においてどのような動きが起こったかをまず再考した。特に、シェーンベルクとは全く異なり、完全に純粋な「無調のメロス」としての音色旋律、その「旋律の絶対的即物性」を主張したJ.M.ハウアーの音色旋律観が、「雑音」を音楽に取り込むという発想への契機を包含しており、やはり、同時代のヴェーベルンの音楽に措定される、セリー音楽の音楽セリーへの歴史的前段階のメルクマールとしての音色旋律の位置づけと共に非常に重要であることが明らかになった。さらに、この「雑音」「騒音」と関連して、研究計画では来年度に研究する予定であったヴァレーズおよびイタリア未来派との関連について先に調べることになった。今回の研究では、イタリア未来派、特に、(ブゾーニとも交流が深かった)ボッチョーニの「造形的ダイナミズム」という発想が、実は空間芸術としての音楽という発想に繋がっており、これがヴァレーズにおける「打楽器の解放」の淵源をなしているということも指摘でき、さらに、ヴァレーズに早くから注目していたジョン・ケージの様々な実験的試みに繋がっていくことも確かめられた。また、12音技法の「動脈硬化」について気づいていたヴァレーズは決してシェーンベルクやハウアーのようないかなる技法化も目論まなかったが、一種の様式的記述概念としての音色旋律観をうち立てることによって、1924年以降、音色旋律が音色継続の電気音響的実現のためにもくろまれた作曲の試みへ応用されることへの道を切り拓いたということがよく理解されうることとなった。今後の課題としては、今回まだはっきりと確かめられていないハウアーの音色旋律観と未来派に通底する思考をあぶり出すことが挙げられる。
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