ベルリン出身の画家マックス・リーバーマンの絵画を、ハンガリー出身の画家ミハーイ・ムンカーチのそれとの関係から再考することにより、コスモポリタンの画家か民族の画家かという見かけの二者択一からリーバーマン作品を解き放ち、それとは別の視点を確保すること、これが今年度の研究における第一の目的であった。この目的に従って、研究は次の二点から進められた。すなわち、第一に、リーバーマンの絵画をコスモポリタンあるいは民族性の観点から捉えようとすることがもつ理論的な困難を指摘すること。第二に、ハンガリーにあるムンカーチの作品を実地に調査するとともに現地で資料収集を行いムンカーチ作品の様式変遷を明らかにし、それを通じて双方の作品の親近性と相違とを明らかにすること。この二点である。もちろん、両者の絵画作品とその活動の特殊性が当時の都市ベルリンの特殊性を露わにすることが繋がっていくことが最終的な目的である。第一の点については、リーバーマンの絵画にユダヤの民族性を見ようとする試みが、彼の1879年の作品である《博士たちとの論議》のような越境的な作品には当てはまらないこと、リーバーマンの絵画は常にそうした「識別不可能性」を持っていること、この識別不可能性は単なる国際様式としての印象主義という標識には組み入れられないものであること、これらを主旨とする口頭発表を行った(2000年1月)。第二の点については、1999年12月に実際にハンガリーに赴き、ムンカーチ晩年の大作三点を含め日本ではまず見ることのできないムンカーチ作品を調査し、リーバーマンとムンカーチに加え、ドイツの側ではフリッツ・フォン・ウーデ、ハンガリー側ではラースロー・パールといった画家を加えたより広範なネットワークのなかでの両者の関係を考える必要があることを今後の研究の最も重要なポイントとして確認した。
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