平成11・12年度に行った調査は主として涅槃図・涅槃変相図、仏伝図、牢度叉闘聖変を対象に行ってきたが、日本と中国の作例を比較すると、日本の作例は中国の作例を内容や形式などそのまま受け継ぐのではなくて、細部を取捨選択しつつ独自の画面構成を作り上げるという傾向があるように見受けられる。ただ、中国で日本の作例の原本が成立した可能性も否定できないため、もう少し時間をかけて緻密に検討することが必要である。例えば、涅槃変相図は中国では五代の敦煌莫高窟第61窟仏伝図、盛唐の同第148窟涅槃変相図、初唐の同第332窟涅槃変相図及び山西省博物館蔵涅槃変像碑とたどっていくことができるが、日本の作例と直接関わるものはほとんどない。しかしながら、南宋の大阪・叡福寺本は日本の作例(広島・耕三寺本系のもの、再生説法が無い)と同一であり、これらの原本とも考えられる。そうすると中国国内での涅槃変相図の展開を検討する必要があり、一方の万寿寺本系(再生説法を含む)も中国成立か日本成立か検討する必要がでてくる。また、涅槃図も中国成立のものと日本成立のものがあることが判明しており、日本のものが中国の作例よりもさらに表現の幅が広まっていることがわかる。仏伝図と牢度叉闘聖変はその関わり具合が特徴をよく示しているといえる。牢度叉闘聖変は日本においては仏伝図の一場面として組み合わされているが、中国・敦煌では大画面に単独で取り上げられている。この違いを分析するには『今昔物語集』の天竺部が有効であり、多くの示唆を与えてくれるものと思われる。
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