名古屋市内の在日韓国・朝鮮人は、大阪や神戸などと異なり、戦前からある地区に固まって住んでいたとかある特定の職業に従事していたということはないようである。むしろ、戦後、名古屋周辺の東海地区、北陸地方から交通の要であった名古屋市に集まり、自然発生的に集落ができあがったと考えた方が妥当である。そして、戦災で壊滅状態にあった名古屋市の都市計画にそって、徐々に集住地区も解体されたと考えられるようである。 具体的な事例としては、市内に数多くあった集住地区でも最大だと言われた名古屋駅西側を選び、に戦後すぐに形成された「闇市」と在日韓国・朝鮮人の集住地区に関する聞き取り調査を行った。その闇市の形成過程や当時の生活ぶり、また名古屋圏に在住する在日韓国・朝鮮人の定住過程や職業生活の特徴の概観ができた。 また、名古屋市内の都市計画とのからみで、名古屋駅西側の集住地区は解体されたのであるが、当時、行政側から立ち退きやその後の保障をめぐって、交渉の最前線にたった人たちからも資料が提供された。また、当時の仕事についてのインタビューも行い、日本人かつ行政の立場からみた闇市の中での人間関係やそのダイナミックスなどがわかった。 現在は、戦後から高度成長期の名古屋市内の様々な行政統計や戦前の名古屋の工業化と朝鮮人動員の問題などを明らかにしようと資料を収集中である。 さらに、関係者や民族団体を通じての当事者たちへのインタビュー、そして、そうした集住地区が解体されたことと関連させて、現在の名古屋に居住する在日韓国・朝鮮人の生活の特質をさらに明らかにしていきたいと考えている。
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