戦前からの技術的・人脈的な蓄積を保持し、1950年代には日本宣伝美術会や東京アートディレクターズクラブなどを次々と発足させていったグラフィック広告界に対して、1951年の民間ラジオ放送の開始や1953年の民間テレビ放送の開始とともに始まった日本のCM業界は、さまざまな試行錯誤を続けていた。そのプロセスを要約すると、 (1)当初ラジオCMは、広告主の宣伝部員が書いた原稿を局のアナウンサーが読むといったシンプルなものであったが、やがてラジオ番組を担当していた音楽家・構成作家たちが、その制作に関わるようになってきた。 (2)そして、単にコマーシャルソングによる商品の連呼だけではなく、キャッチフレーズ型のラジオCMが登場してきた1960年頃から、CM専門の制作者が活躍しはじめた。 (3)しかし、その時にはすでにテレビ(CM)が巨大なメディアとして急成長を遂げており、ラジオCMはそれと連動する媒体、ないしはニッチなマーケットを狙う媒体と位置づけられていった。 (4)その一方でテレビCMは、アメリカからマーケティング理論を直輸入していた50年代の模索を経て、60年代にはCM関連の業界団体や広告賞、ジャーナリズムなどが順次整備されていった。 の4点に概括できるであろう。現在、この時期の広告界に関する資料収集・整理をほぼ完了させているので、今後はPaul RutherfordやHazel Warlaumontなどによって近年精力的に進められている、海外の戦後広告史研究の成果を吸収しつつ、その通史的記述に取り組みたい。
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