平成11年度においては、研究計画に従い、国会図書館を中心に文部省関係資料を収集し、また現地調査によって、純潔教育関係資科の収集と関係者への聞き書きを行った。現地調査では、高校での純潔教育の実践に関する資料や高校生の性意織調査など、純潔教育の実態を知る貴重な資料を入手することができた。これらの資料や聞き書きから、特に戦後改革期における純潔教育施策については以下のような知見を得ることかできた。 1.文部省主導の純潔教育の目的は、基本的には「男女の正しい性道徳の確立」にあった。こうした目的を持つ純潔教育は、性道徳の二重規範や社会構造を問題にし得ないものであった。 2.1946年から1955年にかけての純潔教育施策の動向は、純潔教育施策を担ったメンバーや性をめぐる社会状況の変化に伴い、その位置づけや内容に変化が見られるようになる。50年代以降には、政策側の意図と異なる審議会のメンバーの意図が純潔教育の内容に反映される余地が生み出されたといえる。 3.十五年戦争期において純潔教育を展開してきた日本キリスト教婦人矯風会のメンバーは、個人の身体や性の国家管理に対して批判的な認識を持つことができず、売買春を女性の人権問題として展開し得なかったという限界を内包したまま、敗戦後の純潔教育施策を積極的に担っていった。 4.占領下に設立されたR.A.A(特殊慰安施設)による「国家的事業」=「売買春の推進」と純潔教育施策は表裏一体のものであった。つまり純潔教育施策は「国体護持」と「伝統的国民道徳の昂揚」に寄与するものとして打ち出されたのであり、占領下の売買春政策を補完する役割を担わされていた。
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