本年度は、平安京火災史料のデータ整理が主たる作業であった。刊本史料及び史料調査によって収集した史料をテキストデータとして、パソコンに入力していった。 そのうえで、平安京の火災発生状況の分析を進めることができた。特に、従来見過ごされてきた右京の火災についての考察を行った。 平安京の火災データの中で、右京の火災はほとんど記録されない。そのため、右京は人家のない田地に変わったのだと解釈されていた。しかし、史料をよく見ると、右京の火災は、内裏の火災と誤認されたときに記録されている。すなわち、記録を残す貴族たちの関心は内裏にあることになる。右京が衰退し火災が起こらなくなったため史料に記録されないのではなく、貴族の関心範囲から右京がはずれたから記録されないのである。 実際、右京に関しては発掘成果で人々の生活痕跡が明らかにされている。発掘成果と文献資料の齟齬をどう理解すればいいのか。それを貴族の生活圏をキーワードに考えた。 平安貴族が集住し、おたがいに接触をしあう空間は左京北部域である。したがって、この地域の火災はこまめに記録されていく。これは、火災が起こった場合、火事見舞いを行うという文化があるからである。 そして、貴族がほとんど住まない右京域は彼らの関心の範囲からはずれていた。右京でいかに火災が起ころうとも、貴族たちは火事見舞いをする必要はないため、日記などに記録しない。こうして、左京と右京の記録上の偏差が生じるのである。
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