ブルクハルト史学が、歴史教育という知的営為に適合するものとして構想されていたことを手がかりとして、この史学の構造的特徴を究明しようとした。まず問題としたのは、ブルクハルトが考えた歴史教育がいかなるものであったかである。主として彼の史学論的講義と教育実践の分析から以下のことを明らかにした。すなわち、彼が構想した歴史教育は、学齢期の生徒・学生に、特定の歴史像を一方的に与えるような学校教育や、専門研究者に必要な技法を伝授するというような史学専門教育ではなく、生涯教育的な形式を有し非職業的「研究」を内容とした、主体的な社会教育として評価することができる、ということである。つぎにこの社会教育、とくに大学等高等教育機関が関与する成人教育の19世紀スイスにおける実態を調査すると同時に、そのような場で用いられた文化史学の構造的特徴について、19世紀ドイツ史学のそれと比較しつつ考究した。この作業の諸成果のなかで、つぎの二点が今後の研究にたいし示唆的であると思われる。第一に、成人教育がドイツ大学において本格化するのは19世紀末を待たねばならないが、スイスにおいては、バーゼルやチューリヒなどカントン立大学を中心に、19世紀初頭にかなりな程度まで整備されていたこと、つぎに、成人教育としての歴史教育を主眼とした文化史学が、専門的な科学研究を志向するドイツ史学とは対照的に、歴史認識における感性の役割を積極的に認め、これを歴史「研究」=教育のなかに活かそうとしていたこと、以上である。後者の背景として、19世紀ドイツ史学の社会的構造を構築した科学化・職業化過程にたいするブルクハルトの独特な姿勢が伺われる。この点から、ブルクハルト史学の史学史上における位置づけを再考することも可能であると考えられる。
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