本研究は、〈Picturesque〉を、自明で透明な近代国家の文化装置とみなし、近代日本文化史におけるその展開上に、最終的には夏目漱石の初期世界を位置付けることを目標とするものである。外界の他者性への戦慄から構成される〈Sublime〉に対して、〈Picturesque〉とは、それら〈過剰〉なるものを審美的レベルへ置換し、透明化を図ろうとする美意識である。その透谷から漱石に至る展開の中で、比較的初期に位置する典型の1つとして、今年度は志賀重昂の『日本風景論』を中心に分析を試みた。 たとえば、『日本風景論』において志賀が提唱した美の3類型〈美・瀟洒・跌跖〉は、従来より、ごく単純に〈美・瀟洒〉を〈Beautiful〉、〈跌跖〉を〈Sublime〉に相当させる見方が通説化しているが、このようにみた場合、早くに内村鑑三が指摘したように、〈跌跖〉の位置付けに関しては、〈Sublime〉のキリスト教を背景にした宗教的高揚感の欠落を、「野放図」で以て代行的に補ったもの、という、きわめて消極的な意義しか与えようがない。しかし、〈跌跖〉に、〈Sublime〉そのものではなく、別名大陸的〈Sublime〉のイギリス的矮小化とも呼ばれる〈Picturesque〉との対応性を見るならば、〈跌跖〉の具体的展開として、海岸・火山などの適度に荒々しく、かつ体験するにも快い地形を列挙し、そこに日本固有の美を見出そうとする志賀のスタンスは、まさに幻想の共同体としての近代国家・日本の立ち上げを狙って、新たな美意識を形成せんとする、きわめてナショナリスティックな一貫性に貫かれていると言うことができる。一方に、古典的な美意識〈富士一優美〉を配しながら、あくまで、近代日本が〈発見〉した新たな美意識として〈跌跖〉を配置、展開するところにこそ、『日本風景論』の特色と意義はあったのではないか。より帝国主義的な山岳ブームの嚆矢ともなった、その〈Picturesqueな国家観〉について、成果は、来年度、発表の予定。
|