近世の『うつほ物語』注釈史を見渡す場合に、山岡明阿をその中心となる人物として位置づけることができる。無窮会図書館所蔵『二阿抄』は、細井貞雄が片山足水のもとに蔵されていた明阿本から注釈部分を抜き写し、自らの意見を加えたもので、現在、明阿の研究は、『二阿抄』によって周知されている。しかしながら、貞雄の書写は、必要な範囲に限られているので、『二阿抄』から明阿注のすべてを伺い知ることはできない。高知県立図書館山内文庫所蔵文化三年刊本『うつほ物語』三十冊には、大神真潮による明阿注の書き入れがあり、『二阿抄』では省略されている明阿注が見られる。両者を相補的に比較することで、明阿の研究がかなりの程度再現できる。ただ、『二阿抄』と同じく片山足水のもとに蔵されていた明阿本の注を書写したとある天理図書館所蔵本多忠憲書き入れ本『うつほ物語』三十冊には、明阿注と思われるもので、なおかつ山内文庫本に見えない注が書き入れられている。例えば、「俊蔭」巻の「なん風」について、山内文庫本は、『二阿抄』と同じく、「この琴の名、思ひわきがたし」とする。けれども、この注は「はし風」に関するもので、「なん風は舜の南薫、なん風琴より名付にや」と本多忠憲本にあるのが、明阿の「なん風」に関する注だと推定される。従来の研究では、山内文庫本が明阿の研究をもっとよく伝える本として位置づけられていたけれども、本年度の研究によって、再考を要することが明らかになった。
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