本研究は、『カイエ』におけるボール・ヴァレリーの心理学的思想や哲学の形成を、19世紀後半の思想状況(とくに連合論心理学)との比較をふまえてあとづけ、そのことによって『カイエ』の断章のより一層正確な読解を試みるものである。当時の連合論心理学ないし経験論哲学を参照することで、例えば、1900年前後にかかれた散文詩的テクストである『アガート』が、『カイエ』の心理学や哲学と多くの議論を共有していることが理解され、『アガート』というテクストの内在的理解を前進させることができるのである。平成11年度もひきつづき、このような方向で研究を進めた。具体的には、1904年に 書かれた『注意についての論文』を取り上げて、この論文が、当時ひろく読まれていたリボーの『注意の心理学』を暗に批判しつつ、1900年前後からヴァレリーが読み始めていたカントの『純粋理性批判』をふまえて、独自の認識理論を展開している点を明らかにした。すなわち、ヴァレリーは、リボーの生理学的心理学を批判して、カント的な悟性範疇に対応する「表記法システム」の構築を目指し、そのようなシステムが経験に先行すること、またそのようなシステムによる分節こそが経験を可能することを述べたのである。しかし他方で、彼はこのようなシステムが、精神の自己変動(これが『アガート』の主要テーマであった)における幸運な結果に過ぎないことも熟知しており、近代的な主体に対するするどい批判も決して忘れてはいない。以上の成果は日本ヴァレリー研究センターの機関誌『ヴァレリー研究』創刊号に掲載された。また『アガート』と『注意についての論文』の関係については、日本フランス語フランス文学会欧文学会誌に成果を発表した。
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