ドイツ語圏での民謡の収集・研究は、1770年代に端を発し、19世紀初頭に最初の隆盛をむかえた。フランス革命前夜から対ナポレオン戦争にいたる動乱の時期に、「ドイツ人」としての文化的アイデンティティを支える「民族的なもの」への渇望が、民謡研究への大きな原動力となっていたことをにらみつつ、それ以上に重要な鍵を握っているのが民謡の「口承性」であるという仮説から、本研究は出発している。文学、とくに詩歌は、文字を介してではなく、「口から口へ」と人間の「声」を介して伝えられるのが本来の姿であったという意識が、民謡収集に携わった文学者たちのあいだで強く働いていたと考えられる。「口承」と「文字文化」の力学的関係を考察することが本研究の柱の一つになるため、M.マクルーハンをはじめとするメディア論の著作を集める一方で、旋律もコンテクストも切り離して行われた1800年前後の民謡収集が「表象された口承性」にもとづくものにすぎなかった点を論じて論文にまとめた。収集された民謡の「受容」の場面を考察するために資料を集めたのは、音楽史や「音楽社会学」の成果である。19世紀前半のドイツにおいて、経済力をつけるとともに新たに文化の担い手となった教養市民層が、「大量消費型」の音楽文化を形成する過程で、同時代の音楽のみならず「過去」の参照が重要な意味を持つにいたったことが明らかになった。作曲家による編曲を通じて市民家庭の重要なレパートリーとなっていく「民謡」も音楽史における「過去」に属していたと考えられる。しかしながら、市民家庭ではなく「目に一丁字なき」人々の生活圏が本来民謡のうたわれた「場」であり、こういった「民衆」の生活を再構築する上で「民族学資料集成」のような資料が欠かせない。現在、民俗研究史、民俗学、音楽社会学の各分野について、データベースを作成中である。
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