最初に、前年度に引き続き、骨格各部を用いた年齢推定の基準作りを行った。年齢の記載がある現代人骨格標本を用いて、歯の形成と萌出の程度、および頭蓋縫合の閉塞の程度を観察し、各々の形質による年齢推定式を求めた。 その後、縄文時代の地域集団の人口構造を復元した。人口構造の指標として、年齢別生存率および平均出産数を取り上げた。まず、福島県にある縄文時代後・晩期の三貫地遺跡から出土した骨について、全ての骨の部位を同定し、可能な場合は、性別と年齢を推定した。性別判定は、骨盤の形態、頭蓋の形態、骨格筋付着部の発達の程度、骨の大きさをもとに行った。年齢推定は、歯の形成と萌出の程度、骨の成長の程度、頭蓋縫合の閉塞の程度、腸骨耳状面の形態、恥骨結合面の形態をもとに行った。さらに女性の寛骨について、妊娠痕の観察を行った。これらの観察結果から、三貫地遺跡集団の年齢別生存率および平均出産数を推定した。次に、三貫地遺跡集団についてのこの結果を、他の5カ所の縄文遺跡集団の人口構造と比較した。比較した集団は、北海道縄文(4つの遺跡をひとまとめにした集団)、岩手県の蝦島遺跡、愛知県の吉胡遺跡、愛知県の伊川津遺跡、岡山県の津雲遺跡である。いずれも縄文時代後・晩期の遺跡である。これらの遺跡の年齢別生存率および平均出産数は、以前求めてあったが、今回新たに修正を加えた。これら6カ所の縄文遺跡集団の人口構造を比較した結果以下のことがわかった。北海道では、どの年齢層の生存率も最低で、女性1人あたりの出産数は最も多かった。蝦島と三貫地では、生存率は北海道に次いで低く、女性1人あたりの出産数は北海道の次に多かった。伊川津と吉胡と津雲では、生存率が高く、女性1人あたりの出産数が少なかった。つまり縄文時代には、地域によって人口構造が異なり、日本列島の北に行けば行くほど多産多死型、南に行けば行くほど少産少死型であったことがわかった。
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