本研究は、NMDA型グルタミン酸受容体コアゴニスト結合部位に対するD-セリンの作用を高めることによって精神分裂病の難治性症状を改善する可能性があることから、脳内在性D-セリンの代謝調節機構にかかわる分子群を明らかにして、それらを標的とした精神分裂病の新しい治療薬を開発することを目的にしている。 本年度は、differential cloning法の一つであるRNA arbitrarily primed PCR(RAP-PCR)法を用いて、D-セリンによってラット大脳皮質において発現が誘導される遺伝子転写産物を解析して、D-セリンの代謝および生理的機能に重要な役割を果たしている分子の同定を試みた。クローニングされた、D-セリン投与によって脳内で発現の上昇する転写産物のひとつを、dsr-1(D-serine responsive transcript-1)と名付けた。構造解析からDsr-1AとDsr-1Bの2個の翻訳産物の存在が推測され、さらにdsr-1の3'領域はvacuolar型proton ATPaseのサブユニットの1つM9.2の3'側と一致していることが確認された。Southern blot解析の結果からdsr-1はラットのゲノム上にシングルコピーの遺伝子として存在することが示唆された。M9.2mRNAの発現は心臓、肝臓、腎臓で多く、脳で相対的に少ないのに対して、dsr-1 mRNAの発現は、脳、肺、精巣で多く認められた。大脳皮質においてD-セリン投与後3および15時間後のいずれの時間においてもdsr-1 mRNAの発現はコントロール(生理食塩水投与群)に比較して有意に増加していた(3h>15h)。推定される翻訳産物Dsr-1B蛋白質のC末端側にはM9.2と共通する膜貫通領域および糖鎖修飾部位が存在する。Dsr-1B蛋白質は、神経系でシナプス小胞膜などにおいてproton-ATPaseの他のサブユニットと相互作用する可能性、およびD-セリンの取り込みや放出を調節する役割を持つ可能性が考えられる。 本研究によってはじめて明らかとなったD-セリン応答遺伝子dsr-1は、その構造、組織分布ならびにD-セリンに対する選択的応答性などから、中枢神経系において神経シナプス小胞機能の調節や、D-セリンの代謝に関わる遺伝子であることが推測される。今後dsr-1を中心としでD-セリンの代謝や作用に関わる分子機構を解明することにより精神分裂病の新規治療薬開発における標的候補分子が明らかとなると期侍される。
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