本研究は、青森県弘前市を中心的な事例として、周辺市町村や広域協議会、青森県などの総合計画を取り上げた。とくに、弘前市に関しては、第一次総合開発計画(1971年)、第ニ次総合開発計画(1978年)、第三次総合開発計画(1984年)、第四次総合開発計画(1991年)を経て、本年度成立した第五次総合開発計画を計画論として、変遷をおった。その上で、市の総合計画が地域社会の変動にいかなる役割を果たしてきたのかを検討した。その結果、市の総合計画は地域社会変動を先導する役割を始めから期待されていなかったことが明らかとなった。計画は一種の努力目標にすぎず、さらに、市よりも「上位にある」行政機関や公共機関などに陳情にゆくときのみ「役立つもの」にすぎなかった。 弘前市の総合計画と対照させる形で、こうした総合計画の「名目性」を打破し、地域住民の参加によって地域づくりを推進している自治体(山形県金山町、岩手県藤沢町)の地域計画を調査した。この地域の計画は、地域づくりの目標像を明確に規定しているばかりではなく、計画が地域の変動を先導する役割を果たしている。 このように、大部分の地域計画は当該地域の社会変動を推し進めてゆく役割を果たしてはいない。「計画」はあくまで「計画に終わっている」実態が明らかとなった。しかしながら、少数例ではあるが、地域計画が住民参加によって策定され、その計画が地域づくりの指針となって、その地域の変動の方向を規定しているケースもある。 来年度には、この二つの地域の計画と社会変動のあり方をより詳しく調査してゆく必要がある。
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