本年度は、1968年の学生叛乱に焦点を当てて、それが社会変動において果たした役割と意味を考察した。日本の学生叛乱は、「日大闘争」と「東大闘争」とを二つの柱としている。調べてみると、前者は大学の専制的支配構造に対する叛乱であったのに対して、後者は知識・学問の政治的・社会的意味を問う叛乱であったことが分かる。全国的な学生叛乱の激しい広がりの背景には、このふたつの要素が絡み合っていた。それぞれの紛争は、いくつかの出来事に対する感情的な反発を契機としているが、そうした感情は、あらかじめ抱かれていた理念的世界像を背景にしていた。日大の場合は、いわゆる近代主義的民主主義理念であり、東大の場合は学問の普遍主義的超越性の理念であった。(ただし、これはマルクス主義の普遍性への信念と結びついていた。)既成秩序に対する叛乱行動の原動力はおもに感情的なものであって、合理的な計算ではない。その点、社会運動の合理的選択理論は適切ではない。ただし、感情だけでは新しい秩序を形成する力はない。学生叛乱の場合、日大闘争も東大闘争に引きずられる形で全面的反秩序闘争に発展し、全共闘運動はいわば自爆していった。(雑誌等での理論的指導者は東大や京大の院生、若手の教官だった。)意図せざる結果としてもたらされたのは、政治的秩序についてはよりいっそうの安定化であったが、他方、文化的および学問的秩序については脱近代的解体の始まりであった。すなわち、普遍主義的超越性の理念は衰退し、ポスト・モダン型相対主義への道が開かれた。以上の考察は、本年度に発表したいくつかの論考において活用されている。
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