今年度は、報徳仕法と対比すべき豪農家政改革の一事例を検出し分析した。遠州榛原群山田家文書(国立史料館所蔵)中の天保期以降の家政改革関連史料を検討し、次のようなことを確認した。即ち、豪農は地域村々における金融機関的な存在であって、そうしたところでの金融上の焦げつきが彼の商業的経営を圧迫し、豪農は最終的に経営破綻に陥った。当初は一定の年数を区切った借財返済仕法が行われたが、これには地域の有力者が世話人として関わり、低利融通の借り換えを柱とした計画が立てられ、一定度実践された。しかし、それは豪農の地主=小作料取得者の側面を軸とした仕法であって、彼の商人としての側面を充分規制するものではなかった。それゆえ、豪農は仕法中も米相場などに関わって新たに借財を膨らませてしまい、仕法は頓挫した。仕法が頓挫したとなると、次に来るのは分散仕法=身代限り(破産手続き)であったが、山田家のような大きな豪農の分散は、一般の破産における全財産の処分とは異なり、あらかじめ相当な家産を残して家の立ち直りを待つというものであった。そこには、豪農が地域で果たしてきて、更に今後も期待されるところの地域的金融網における信用構造上の役割の大きさというものが見て取れる。これは同時に領主的配慮にも依拠してなされたものであった。以上の家政改革のあり方を在来型仕法として前提的に理解し、その後の当該地域で展開する報徳仕法のあり方を併せて検討する。その上で、両者の仕法理論を原理的に比較することを通じて、本研究の全体的かつ最終的な課題遂行となる。
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