研究課題/領域番号 |
11871062
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研究機関 | 千葉大学 |
研究代表者 |
水之江 有一 千葉大学, 文学部, 教授 (90009598)
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研究分担者 |
水之江 郁子 共立女子大学, 国際文化学部, 教授 (40229711)
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キーワード | ミルトン,ジョン / 帝国主義 / 連合 / 連合解消 / クロムウェル / ジャコバン派 / スィフト,ジョナサン / コングリーヴ |
研究概要 |
18世紀のアイルランドは、近代ヨーロッパ社会の成立を考察するうえでとても意義深い時代である。イギリス帝国主義がアイルランドの前近代的社会を一掃し、新たな時代を確立したからである。それは1800年から「連合」という名の下で始まる植民地化につながる。言語では、ゲール語の使用を禁じ、宗教ではイギリス国教会の制度を強制し宗教禁止令の発布に伴いカトリック教徒の活動を厳しく抑制した。 この局面をイギリスの側から、ミルトンによるクロムエル支持を取り上げて、清教主義と共和制の立場とを考える。またアイルランドの側からはジャコバン派の論理と王室支持、さらに市井ではジョナサン・スィフトやエドマンド・バークの主張、さらにグラタンの議会演説などを資料とする。トマス・ウルフはフランス革命に乗じ、革命をダブリンで試みた。 その結果、後者の論調は世紀を越えてトマス・デイヴィスやダニエル・オコネルの活動につながっていく。そのとき彼らは宗教においても言語においてもイギリス帝国の趣旨に同調するようにみせる。しかし政治的には、帝国主義に激しく敵対し、「連合」廃止を強く求める。 一方では帝国の都ロンドンに出かけて誰よりもイギリスの人間になろうとする者も現れた。劇作家のコングリーヴ、ゴールドスミスなどである。スイフト自身もダブリン大学を卒業すると、ロンドンに出て貴族の館に身を寄せるようになった。しかしその庇護も失うと、ダブリンに戻り態度も反イギリス帝国となり、経済的に弱者の立場に置かれている祖国を弁護し、イギリスを攻撃した。皮肉なことには、彼が用いた英語がその後祖国の言葉として定着することになった。
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