アメリカ合衆国が多民族国家であることは、こんにちでは、常識となっているが、アメリカ人が、そのことを自覚するまでには建国からほぼ一世紀を要したといえる。むしろ、建国以降19世紀後半になるまで、社会の同質性は前提とされていた。そして、その同質性をどのように維持するのかという観点から対外的な態度が決定されていた。しかし、アングロ・サクソン主義が同質性を強調するイデオロギーであったわけではない。合衆国においては、19世紀後半までは、反英的な態度が一般的であった。アングロ・サクソン主義がナショナリズムのイデオロギーを構成するようになるのは、社会進化論がアメリカを席巻して以降のことである。また、反カソリック的な態度が深刻な社会・政治問題となるのは、19世紀末に「新移民」が大量に流入したあとのことである。社会の同質性をいかに保障するのかについては、エスニシティにかんする問題としてではなく、だれが共和制の担い手であるかという問題として捉えられていた。共和制というアメリカの体制は、外国による軍事的な侵略によってではなく、外国的なるものの侵蝕によって腐食していくと考えられていた。共和制の担い手であるためには、したがって、なによりも、ヨーロッパ的なものを払拭していなければならない。また、その担い手は、アメリカの政治原理の理解する者でなければならない。ヨーロッパにたいする孤立主義的な態度と、「明白な運命」論にみられる併合論は、このような観点から理解することができる。
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