研究課題/領域番号 |
11J04671
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
諫早 庸一 東京大学, 東洋文化研究所, 特別研究員(PD)
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キーワード | 天文学 / イラン / ペルシア語文化圏 / ガージャール朝 / 科学史 / 翻訳 / 日本 / 蘭学 |
研究概要 |
23年度は、そのほとんどをイランのテヘラン大学科学史研究所で過ごし、来年度以降の研究の基盤形成に力を注いだ。具体的には、首都のテヘランを中心として、イラン各地にある図書館を回り、天文学関係の写本を収集した。その他、イランの学術機関を巡り、当地の研究者との交流を通じて研究の視野を広げ、それを自らの研究に反映させていった。 研究面では、主題である13-14世紀のペルシア語文化圏の天文学の状況をより通時代的に捉えるため、まずは近代以降のペルシア語天文学文献に注目した。具体的には現在知られる限りでは最も早く西洋の新天文学を反映させたペルシア語天文訳書である『形象学訳稿Tarjome-ye Hei'at』(1818年)の孤写本を研究した。この作品は従来からその存在は知られていたものの、学術的な研究の対象になったことはなかった。今年度の学術成果は主にこの史料の読解・研究から得られた知見を基に組み上げられたものである。 後に外務大臣を務めることになるミールザー・マスウード(1791-1849年)によって著された『形象学訳稿』はガージャール朝期(1796-1925年)のイランにおける近代天文学受容の端緒であり、しかも孤立した存在ではなく、それと後代の天文学者や天文書との間の繋がりを見出すことのできるものであった。 こうした事実を東京大学東洋文化研究所で行われたセミナーにおいて発表した。 さらに、イラン地域における近代天文学受容の在り方を他地域のそれと比べる試みも行った。比較対象としたのは日本である。日本では18世紀後半にオランダ語文献を通じてケプラー以降の近代天文学の成果が移入される。地理的にも遠く離れ、天文学的伝統も相当に異なっていた両国であったが、近代天文学の導入には幾つもの興味深い共通点を指摘することができる。異なる天文学的伝統を持つ両地域が、同時期に似たような形で西欧科学に引き付けられていく。こうした現象を「近代の引力」と表現し、それを題名とした報告を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初より初年度に当たる23年度においては、イランのテヘラン大学科学史研究所に滞在し、今後の研究に必要な史料を収集すること、および当地の研究者との交流を通じて情報収集を行い、研究に対する自らの視野を拡げることを目標としていた。1年におよぶ当地での研究を経て、天文学関係の写本を中心に多くの史料を収集することができ、また今後の研究に資する情報や人脈を獲得することができた。そうしたことから、初年度を終えた段階ではおおむね順調に進展しているとの自己評価を下した。
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今後の研究の推進方策 |
今後はこの1年で収集した史料の読解を継続し、13-14世紀ペルシア語文化圏における天文学の状況を描き出していく。成果は学会発表や論文の形で積極的にアウトプットしていくこととなる。研究計画遂行上の問題点としては、予想に反し、本研究で主要史料として用いようと考えていた計時学関係のペルシア語文献をほとんど発見できなかったことが挙げられる。しかし、こうした史料が殆ど見られないという事実を通じて、それとは対照的に計時学が盛んであった同時代のアラビア語文化圏との天文学に対するアプローチの違いを認識することができた。今後は天文学関係の文献だけではなく、同時代の年代記や財務官僚マニュアル、農書やホロスコープなどにも注視し、アラビア語文化圏とは異なる当時の天文学とイラン社会との関わりを論じる。
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