研究課題/領域番号 |
11J05238
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研究機関 | 関西学院大学 |
研究代表者 |
雲岡 梓 関西学院大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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キーワード | 国学 / 本居宣長 / 『真字古今集をあげつろひし詞』 / 龍草廬 / 賀茂真淵 / 『野中の清水』 / 擬古物語 / 『本居宣長慶徳麗女難陳』 |
研究概要 |
2012年度は荒木田麗女の国学に重点を置いて研究を行った。麗女は松阪に本居宣長、宇治山田に荒木田久老が住むという国学興隆する伊勢の地に暮しながら、国学に関心を持たず、宣長と論争を行ったことを除いては国学者たちと交流を持たなかったと考えられて来た。 しかし、白百合女子大学図書館に所蔵される資料『真字古今集をあげつろひし詞』(龍草盧著)から、麗女が賀茂真淵の門人であった京の学者、龍草盧と師弟関係を有し、頻繁に交流を持っていたことが判明した。そして、麗女が草盧を通して真淵の孫弟子という関係に当たることも明らかになった。しかし、麗女は草盧が真淵の教えに疑問を持ち、真淵門下を離れた後の弟子であるため、真淵の学問体系は継承していない。 次いで『真字古今集をあげつろひし詞』の内容を詳細に検討した所、麗女の師の草盧は、『古今集』は撰定された当初は真名で書かれており、後世になって仮名に書き換えられたと考えていたことが判明した。このような見解に、麗女も少なからず影響を受けていたと考えられる。 また、麗女と本居宣長との間に起こった論争について、調査を行った。この論争は麗女の擬古物語『野中の清水』に宣長が批評・添削を加えたことを発端として始まり、二人の間では再三にわたる論難応酬が行われた。先行研究では、本論争は国学の大家である宣長の正当な添削に、麗女が素直に従わなかったに過ぎないと解され、対等な論争であるとは見倣されていなかった。そこで、宣長に対する麗女の反論文、『本居宣長慶徳麗女難陳』によって、論争の経緯や論点等を分析した。その結果、本論争が『古事記』、『万葉集』を重視する宣長と、後世の学問を重視する麗女との学問観及び、そこから派生する擬古物語観に関わるものであることが確認できた。 以上、麗女の国学に関する見解や、師弟関係等を考察することによって、麗女の学問の内実に迫ることができた。また、近世期における女流文学者の活動の一端を明らかにすることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
2012年度は麗女の国学に関する活動を中心に研究を行った。その結果、白百合女子大学図書館に所蔵される資料、『真字古今集をあげっろひし詞』から、賀茂真淵、龍草盧、麗女と続く国学の学統が明らかになった。麗女の学統が確認できたことから、麗女の国学に関する研究方法や見解が明らかになった。また本居宣長との論争の詳細についても判明した。その成果について学会発表を3回行い、学術論文5編を発表した。論文5編中3編は査読誌への掲載であり、結果的に本年度の取り組みの成果が学界において評価されたと考えられる。また、査読無しの2編についても、博士論文に関わる内容であり、研究の進展に寄与していると言える。以上から、当初の計画以上に進展していると評価できるだろう。
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今後の研究の推進方策 |
次年度は麗女の和歌・連歌・俳譜等の韻文について研究を進める予定である。特に連歌の分野に重点を置いて研究を進めたい。中世から近世にかけて、連歌は盛んに行われた文芸である。中世においては女房たちが連歌会に多数出席し、名人と呼ばれた女性連歌師も存在したことが知られている。しかし、近世期においては連歌の座から女性は姿を消したと考えられて来た。近世期において多数の連歌会に出席したこと、また宗匠という指導者の立場にあったことが知られている女性は、荒木田麗女のみである。なぜ麗女のみがこのように活躍することができたのかを、連歌師らとの交流や連歌会の記録の研究を中心として明らかにして行きたい。そして近世期の女性にとって、連歌という文芸はいかなるものであったのかを考察したい。
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