研究概要 |
本研究課題のテーマは,一対の視聴覚情報の発生源としての話者を,効率的に定位、認識できるメカニズムについて,人間の感覚情報処理に関する基礎的知見から説明することである。話者の特定には,発話内容の知覚,構音動作の知覚,および,これらの視聴覚情報の統合という段階的な処理過程が関与しているが,これら全ての過程では,共通して,何らかの感覚情報間の対応付けが行われている。そこで,私は,感覚モダリティ内,および感覚モダリティ間の対応付けに用いられるメカニズムの性質を明らかにすることを目的としている。先行研究では,バインディング(対応付け)課題(※)を用いた実験によって,視覚の異属性(e.g.色と運動)間,および異種感覚モダリティ(e.g.視覚と聴覚)間の対応付けが,約2.5Hzという共通の時間限界を示し,ゆえにこれらの対応付けが,高次の共通のメカニズムで行われている可能性が示唆されている。よって,視覚以外の感覚モダリティ(e.g.聴覚)においても,異属性 (e.g.振幅と音高)間の対応付けの時間限界が上記と共通の値になるのであれば,感覚モダリティを問わず,独立のモジュールで処理された感覚情報の対応付けは,共通のメカニズムで行われると推察することができる。そこで,平成23年度の研究において,三種類の聴覚属性を用いて,属性間の対応付けの時間限界を測定したところ,属性間の対応付けの時間限界は約2,5~4Hzであり,条件によっては,視覚の属性間および異種感覚モダリティ間の対応付けよりも有意に高い値となった。しかし,この実験においては,聴覚末梢系で生じる何らかの手掛かりによって,対応付けの可否によらず課題が遂行できていた可能性があった。 そこで,平成24年度の研究では,聴覚末梢系で生じる手掛かりを可能な限り統制できる刺激を用いて,聴覚属性間の対応付けの時間限界について,再検討を行った。用いた刺激は,音高(純音の周波数で定義),振幅(純音の振幅で定義),時間情報に基づく音高(帯域制限パルス列の繰り返し周波数で定義)であった。単一聴覚フィルタ内の相互作用,周波数変調によって周辺の帯域にもたらされる振幅変調,同時に提示される二つの周波数成分間の調和性の変化,帯域制限パルス列の成分が聴覚フィルタで分解されることによるスペクトル情報の利用,等といった手掛かりの利用可能性を可能な限り排除できるよう,注意を払って,刺激を提示する帯域や,周波数成分を設定した。その結果,聴覚属性間の対応付けの時間限界は約3~4Hzであり,やはり視覚属性間および異種感覚モダリティ間の対応付けの時間限界(約2.5Hz)より有意に高い値となった。このことから,聴覚においては,異なる属性間の対応付けであっても,視覚とは異なり,視覚属性間および異種感覚モダリティ間の対応付けに用いられる共通のメカニズムよりも低次の,聴覚系内部のメカニズムで行われるものと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
平成23年度の研究では,独立に処理された感覚情報間の対応付けを行うメカニズムの時間周波数限界について,視覚と聴覚の比較を行い,聴覚属性間の対応付けにおいては,視覚の属性間および異種感覚モダリティ間の対応付けに用いられる共通のメカニズムとは異なる,聴覚系内部のメカニズムが関与している可能性が示された。そこで,平成24年度は,上記の実験で用いた限られた聴覚属性以外の,複数の聴覚属性を用いて,結果の頑健性を確かめることを目的とした。今年度の実験では,新たに定義した三種類の聴覚属性を用いるのみならず,聴覚末梢系において生じる手掛かりを排除することで,上記の実験手法における問題点を解決し,一貫した結果を得た。
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今後の研究の推進方策 |
現在,解決されていない課題は,以下のようなものである。視覚においては色と運動のように,異なる次元の刺激特徴が脳の異なる領域で処理されていることから,属性の定義が容易であるのに対して,聴覚においては,このような生理学的な証拠が明確に得られておらず,属性の定義は非常に困難である。平成24年度の実験では,聴覚末梢系で生じる手掛かりを排除したため,対応付けを行う刺激同士の,入力時における独立性は保証されていたが,例えば入力後の段階で,必ずしも振幅や周波数が独立のモジュールで処理されていないかもしれない。次年度の研究においては,これまでとは異なる方法で属性を定義し,感覚モダリティ内における「モジュール」の意味を問い直すことによって,この課題の解決に取り組むことを予定している。
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