研究課題/領域番号 |
11J08799
|
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
小寺 寛彰 東京大学, 経済学研究科, 特別研究員(DC2)
|
キーワード | 構造転換 / 出生率 / 乳児死亡率 / 家父長制度 |
研究概要 |
農業から非農業への産業構造の転換を検証するために、本年度は、金融部門を新たにモデルに組んだ時の経済成長のメカニズムと産業構造の転換との関連性を検証する予定だったが、モデルの構築に苦戦しているため、まずは来年度に行う予定であった、「人的資本と農業から非農業への構造転換の関連性」の研究を行った。特に私は、「構造転換による経済成長と出生率に関する」研究に焦点をあてた。 ある国に、技術革新が起こり、所得が上昇すると、初期には、多くの子供を育てることができるため、子供の数を増やす。しかし、所得が更に上昇すると、子供に投資する機会費用が大きくなるので、子供の数が減り、代わりに子供一人に宛てるコストが上昇する。このように経済成長により、出生率は一端上がるものの、段々と下がるのである。 この関係性を日本の場合で応用したい。過去100年の日本の出生率の推移を概観すると、戦前までは、出生率は、30‰-35‰の値を維持していた。しかし、戦後になると出生率は、急激に減少した。具体的には、1950年に、30‰を切り、1978年には、15‰を下回った。この減少のスピードは、諸外国と比べると際立っている。何故、日本の出生率が戦後に急激に減少したのかについては、未だに解明されていない。考えられる要因として、ます日本の1950年代からの急激な経済成長が考えられる。農業から非農業への構造変化の結果、非農業者の労働割合が上昇し、賃金が上昇する。この急な構造転換が、出生率の急激な減少をもたらすことは考えられる。しかし、出生率の突然の減少の要因は、これだけにとどまらない。例えば、乳児死亡率の急激な減少が挙けられる。乳児死亡率の減少で子供を失うリスクが軽減した結果、多くの子供を産む必要がなくなったということも一つの要因として考えうる。したがって、それらの要因をモデルの中に組み込み、それをシミュレーション分析することを通じて、どの要因が主要なものかを、検証する。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
様々な文献を読んで、戦後の急激な日本の出生率の要因を検証した結果、「農業から非農業への構造転換」、「乳児死亡率」、そして、日本の農村部に浸透していた「家父長制度」の崩壊の三つが主な要因であるという仮説をたてた。それを基にしてモデルを構築し、シミュレーションも試みた。このように、一連の過程を、この一年で行うことができたので、概ね順調だったと考える。
|
今後の研究の推進方策 |
シミュレーション分析を行ってみたものの、そのモデルで実際の日本の出生率の動向を説明することができなかった。その理由として、自身が構築したモデルに原因があると考えられる。特に、問題と考えるは、乳児死亡率の扱い方である。自身が構築したモデルで乳児死亡率を取り入れてみると、乳児死亡率が下がるほど、子供の出生率が上がるという結果を得られた。これは、実際のデータにあてはまるとは考えにくい。何故なら、多くの文献によると、乳児死亡率が下がれば下がる程、子供を早い時期に失くすリスクが軽減されるので、子供を多く生まなくなるという実証結果が得られているからである。したがって、この事項をどのようにモデルに当てはめていくかを考えることが、重要な課題である。
|