研究課題/領域番号 |
11J09934
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
稲井 智義 東京大学, 教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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キーワード | 子ども救済 / 子ども保護 / 教育社会史 / 岡山孤児院 / 保育所 / 二葉幼稚園 / 学校儀式 / 冨田象吉 |
研究概要 |
本研究は、1890年頃から1930年頃における日本の子ども救済・保護事業の教育社会史的な解明を目的としている。本年度は、特に当時の両事業の重要な人物であった石井十次・冨田象吉と社会集団(運動や他の施設、人々)との関係に注目して、3つの課題に着手した。 第一に、戦間期日本における保育所制度化をめぐる論争と冨田象吉の子ども観を検討した。従来の研究には、託児所制定運動に限定して検討されてきたという問題があったため、本論ではその運動を児童保護法をめぐる議論との関連と立場の多様性に注目して再検討した。その際、当時の社会事業・児童保護事業大会の関連資料を網羅的に収集した。まず、保育所の制度化をめぐる論争が1920年代前半の児童保護法のなかでの議論から、1926年の幼稚園令制定を受けて、託児所単独の制度を求める運動へと変化したことを明らかにした。つぎに、富田が農村の財政支援や質の保障を重視する託児所令制定運動への批判的な立場にいたことを明らかにし、その当時、彼の児童保護概念が都市の貧困や労働の問題に関わる、子どもの教育と保護の場と捉えていた点で特徴的であったことを明らかにした。 第二に、子ども救済事業から子ども保護事業への移行のなかで見られた、岡山孤児院と二葉幼稚園の関係について検討した。従来、これらの事業は博愛主義者による活動として並列に語られてきた。しかし、そこでは具体的な諸関係が問われることがなかった。その点を検討したのが、今回の学会報告である。まず、二葉幼稚園から岡山孤児院に子ども(貧児)が送られていたことと、二葉幼稚園がその特徴を孤児院との関係で捉えていたことから、実際に両者に関係があったことを明らかにした。こうした関係が、その後、保育所が台頭し、孤児院が批判されていくなかで意識されなくなったことを、当時の中央慈善協会の資料と先行研究から確認した。 第三に、岡山孤児院と付属小学校での学校儀式について検討した。そこで明らかにしたことは、孤児院で生活していたほとんどすべての子どもが、付属小学校の祝日になされた学校儀式に出席していたことである。これは、遊戯や体操といった行事がなされたことと、院と小学校との心理的な距離が近かったことによると示唆した。今後、不十分な点を再度、資料にあたって検討し、論文にまとめていく。 その他に、リテラシーの社会史研究の著作の書評と、保育史の研究動向に関わる論文を執筆した。今後はこれらの知見を、子ども救済-保護の研究に反映させることが課題となる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
第一の理由は、十分な論文と発表を行ったことである。今年度は査読論文が1件採択され、また、現在(2012年3月時点)も審査を受けている論文がある。その他に学会発表(2件)と関連領域の研究動向に関わる論文執筆(2件)を行った。 第二の理由は、次年度への研究活動への準備を行ったことである。今年度は新たに岡山県内の図書館・資料館での調査、および、法政大学付属大原社会問題研究所での調査を行った。再調査も必要になるが、主要な資料については入手することができた。次年度は、上記の学会発表と資料調査をもとに論文を執筆することが課題となる。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度の最大の課題は、昨年度・本年度を通じた学会発表をもとに論文を執筆すると同時に、これまでの成果を総合して博士論文を執筆することである。この点についての対策は、4月以降、この間の発表と資料調査を中心に、論文執筆を重ねるほかにない。論文執筆・投稿については7月頃までを目処として、その後は博士論文の執筆に専念する。 また、資料調査は研究の進展と必要に応じて、随時行う。
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