研究概要 |
東北地方出土幼児人骨の形態学的検討を進めるうえで、これまで全国の縄文時代、弥生時代の幼児人骨の調査を中心に行ってきた。分析の結果、骨や歯の形態から,成人骨同様に縄文時代と弥生時代以降の集団とでは形態的に一線が画されることが確認できた。そこで東北地方で出土した近世までの各時代の幼児人骨に関して、縄文時代人骨と渡来系弥生人骨との比較検討のうえ、どちらとの類縁性が強いかという分析を行い、時代毎にどのような傾向を示すのか明らかにし、渡来系弥生人の東北地方への進出過程を明らかにすることを目指した。そのため今年度は比較資料の少なかった東北地方の古墳時代、歴史時代の幼児人骨の資料収集に努め、各時代の幼小児人骨の検討を行った。古墳時代から古代の資料としては宮城県清水洞窟出土幼児人骨約10個体を調査した。中世としては宮城県里浜貝塚出土の幼児人骨4個体を調査した。 各時代とも例数が未だ不十分だが、今までの研究成果を時代を追ってまとめると、東北地方の22体の縄文時代幼児人骨の歯のサイズは他地域の縄文時代幼児人骨よりも小さく、渡来系弥生人とは隔たりが大きいことが確認された。また、顔面の形態が観察できる個体に弥生的要素は見られなかった。弥生時代には縄文的、弥生的なものが双方ともみられる。古墳時代以降はいずれの時代も渡来的要素の方が東北地方にも強くみられる。したがって東北地方に渡来系の人々の影響が最も早く現れるのは弥生時代に遡ると考えられ、その後も東北地方に影響を及ぼし続けたと思われる。以上の成果は2000年10月日本文化研究センターで開催された第2回学際シンポジウム「日本人・日本文化」で口頭発表し、2001年1月にAnthropological Scienceに投稿した。
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