研究概要 |
奄美大島最北端の笠利町佐仁の方言は、ハ行子音にp音を保存し、カ行子音のkが摩擦音hに変化するなどの点で周辺の方言と異なり、「言語の島」として知られている。また、佐仁方言は語中のマ行子音のmが後続する母音を鼻音化させたのち、消失している。狩俣繁久は、笠利町佐仁の方言の音声と語彙の調査を2度にわたっておこなった。調査ではp音はまだよく保持されているが、鼻母音(i,o,a)は90代の話者に痕跡的に観察できるものの、70代の話者にはみられないことがわかった。 須山名保子は、同じく奄美大島中部の大和村の方言と奄美大島南部の瀬戸内町方言の文法の調査をおこなった。文法は言語の学習と継承にとって重要な要素であるが、奄美方言に関して、特に中部地域と南部地域に関して研究が遅れていた。須山はこの二つの地域の方言の文法調査に着手し、12年度中に4回の現地調査をおこなった。調査では奄美方言文法の全体の概要をつかむための調査をおこなった。調査にさきだって琉球大学で調査の方法、調査項目などについての検討会をおこなった。 大胡太郎は、奄美大島の歌謡の歌詞に関する調査を行なったほか、狩俣とともに、水納島からの移住集落である高野で民俗儀礼スツウプナカの調査をおこなった。故郷水納島では人口が激減し、民俗行事がおこなわれておらず、移住集落であるために、周辺集落との文化的接触で固有の文化が変容と消滅の危機に瀕していて調査が急がれるところである。
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