2001年5月15-28日および2001年12月7日-2002年1月1日の2回、タイ、プレー県にて現地調査を実施した。調査票は、Egerod & Rischel(1987)の語彙集をもとに作成し、20年前のムラブリ語との対照が容易にできる資料を約1500語を得た。その結果、ナーン県にいたムラブリ族と現在プレー県にいるグループのムラブリ語は同一言語であり方言差というほどの違いはないことが確認された。さらに、プレー県の定住地において、ほぼ全員の家族調査を行い、その親縁関係を明らかにした。その結果として、現在ここに住んでいない人たちも含めて、ほとんどが親族あるいは姻戚関係にあることが明らかになった。ムラブリ族は他民族と通婚しないので、現在北タイにいるムラブリ族はすべて民族的にも同族と見て差し支えないことになる。なお、ナーン県にはかなり違うムラブリ語を話す小グループがいて、他のムラブリ族とは別の言語を話しているという意識があったというが、すでに消滅したことが確認された。また、本年5月以降、ナーン県から40数名がプレー県に移住して来たので、すでに3分の2以上が一箇所に暮らしていることになり、ムラブリ族が集団で定住するという新しい局面を迎えたといえる。 プレー県の定住地では、すでにタイ語による学校教育が行われていたが、ムラブリ文字の教育も開始した。初級と中級のテキストがドイツ人宣教師によって完成しており、数人は読み書きができる。話者数が300人足らずの少数言語の場合、言語保持のために二言語併用教育は必須であり、望ましいことである。ここのムラブリ族にたいし、今の段階で我々言語学者にできる課題は、言語・文化の記録者となることであろう。ムラブリ族自身も自分たちの言語・文化が変わり行くことを自覚しており、記録を残すことの意義を理解して協力してくれるようになってきたことは成果の一つである。
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