近年の研究で、嗅覚一次中枢である嗅球の表面には、高度に選別された匂い情報が定型的な地図として表現されていることがわかってきた。この地図が、その後どのような形で中枢へと受け渡されていくのかが次の興味深い問題であるが、これ以降の軸索投射の規則性については全くわかっていない。嗅球の投射神経細胞は複数の嗅皮質領域に投射するが、軸索標識等の実験からは、これらの間の結合に秩序を見いだすことはできない。それどころか、嗅球の軸索の伸張経路である嗅索内において、すでに軸索は不規則に入り混じり、トポグラフィックな位置関係は失われると考えられている。 我々は、嗅索を走行する軸索の一部を染色するモノクローナル抗体H2C7を単離した。発生ステージにより染色パターンに若干の違いはあるが、常に嗅索中の腹側表層に位置する一群の軸索に染色が認められる。この染色パターンの意味を知るために、H2C7抗体の認識する抗原分子を探索したころ、膜型チロシンキナーゼレセプターc-kitが抗原であることが明らかとなった。c-kitは、嗅球内では中間帯に分布する細胞で強く発現されていた。ブロモデオキシウリジンを用いた細胞トレース実験から、分裂を終えた僧帽・房飾細胞が、中間帯を放射状に移動する際に一過的にc-kitを発現し、その後その発現を停止することが示された。すなわち、同時期に誕生した嗅球の僧帽・房飾細胞は、その細胞体の空間的配置にかかわらず、軸索を嗅索の中で収束させて伸長すると考えられた。そして嗅索の中には、深層背側部から表層腹側部に向かって発生の新しい軸索が秩序だって配列していると考えられた。 これまでの研究で、嗅球における僧帽・房飾細胞体の位置と嗅索内の軸索配置との間にはトポグラフィックな対応関係はないとされてきた。本研究は、その結果を追証すると共に、嗅索内の軸索には発生ステージの違いに応じた組織化が存在することを示した。今後はこの軸索配置の果たす意義についての解析が必要であろう。
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