この研究計画が目的とするポスト・ローマ期の史料は、支持素材の点で云えば、パピルス紙に記された記録と、獣皮紙に書きとめられたものの二つに分けられる.この他に少数ではあるが蝋板文書やスレート文書、そしてやや多量の金石碑文史料が挙げられるが、滅失文書を含めた文書使用の実態の再構成という観点から重要なのは、当面パピルスと獣皮紙に記録されたより実用的な文書群である.新たに研究の協力者となったビザンツ・パピルス学の専門家J・ガスク教授によれば、ローマ帝政期・初期ビザンツ・エジプトでのパピルス生産は、週ベースで約100万枚という膨大な量であった.716年キルペリクス2世がコルビー修道院に与えた特権状には、同修道院が毎年プロヴァンスの関税徴収所から5巻のパピルス紙を受領することを認められているが、各巻5000枚、すなわち25000枚の謂とするH・ピレンヌの説が途方もない過大評価として批判されたが、右のエジプトでの生産量からすれば、首肯しうる数字であろう.これまで中世初期西欧の研究の枠組のなかで比較的研究の手薄なパピルス紙史料を最初の作業の対象としたのは、こうした史料学的な認識を基礎としている. 東ローマ世界では、4世紀から9世紀にかけての時代に、断片を含めておよそ35000点のパピルス文書が知られている(ガスク教授による教示)が、西欧世界ではその100分の1にも満たない数字である.その大部分はイタリアからの伝来であるが、ダゴベルト1世の2点の滅失文書を含めて約20点ほどのフランク国王の証書と、パリ地方の女性大所領主エルミントルデの遺言状など、数点の私文書も存在する.これらの多くは19世紀初頭にG・マリーニにより校訂本が出されているが、第2次.大戦後スウェーデンのパピルス学者ヤン・オロフ・ティエグーにより、増補を伴った全面的な再検討がなされている.現在の研究状況と水準に照らして確実な出発点となるのは、このティエダーの膨大かつ詳細を極めたインベントリーの利用であり、これを基礎とするデータ・べースの作成である.そこから今日では失われてしまった未知のパピルス文書類型、あるいは文書そのものの存在の手掛かりを掴む作業を継続することである.この作業は平成13年度も継続される.
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