研究課題/領域番号 |
12450194
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
地盤工学
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研究機関 | 佐賀大学 |
研究代表者 |
鬼塚 克忠 佐賀大学, 理工学部, 教授 (20037948)
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研究分担者 |
西田 一彦 関西大学, 工学部, 教授 (20067581)
唐 暁武 佐賀大学, 低平地研究センター, 外国人研究員 (80315176)
根上 武仁 佐賀大学, 理工学部, 助手 (30325592)
菅谷 文則 滋賀県立大学, 人間文化学部, 教授 (10275175)
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研究期間 (年度) |
2000 – 2002
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キーワード | 土とん墓 / 吉野ヶ里墳丘墓 / 版築 / 締固め / 盛土 / 基壇 / 黄土 / 時間効果(年代効果) |
研究概要 |
当時最先端の技術が駆使された吉野ヶ里遺跡において、吉野ヶ里墳丘墓(B.C.50年頃)は日本最古の版築技術が用いられた墳丘墓である。この古代土木技術(盛土構築技術)ルーツはどこの何なのか。墳丘墓の直接のルーツと考えられる中国・江南の土とん墓(西周〜春秋・戦国時代、約B.C.1100〜400年)に初めて工学のメスを入れ、地盤工学特性と構築技術を明らかにし、構築技術の吉野ヶ里墳丘墓への伝播経路とその変遷を考えた。 中国・江南の土とん墓には貴族埋葬のものと平民埋葬のものがある。貴族埋葬の土とん墓が高度な版築技術を駆使していること、すなわち調査した土とん墓は吉野ヶ里墳丘墓よりスケールが大きく、版築層は地盤工学的に必要な機能(強度、排水、防水など)を果たすように、各種の土を意図的に適材適所用いていることが分かった。吉野ヶ里墳丘墓とこれら江南の土とん墓の類似性を指摘した。 前漢時代の朝鮮半島における楽浪郡設置(B.C.108年)以前には、墳丘墓は朝鮮半島にはないと考えられる。また韓国には吉野ヶ里墳丘墓より古い墳丘墓は発見されていない。これらのことは吉野ヶ里墳丘墓のルーツは朝鮮半島には無いことを意味する。 最近の研究によると、コメもヒトも中国大陸から、朝鮮半島経由ではなく、海を経て直接北部九州に伝来したと言われる。これらのことを併せ考察すると、中国・江南の土とん墓が吉野ヶ里墳丘墓のルーツであり、土とん墓構築技術が、直接海を経て伝播し、日本の古代土木技術(盛土構築技術)を生んだものと言える。
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