近代地理学が成立したヨーロッパという文化環境の中ではなく、それとは異質な東アジアの伝統文化の中での地理的思惟を検討した。地理学という土地に即した研究領域が、研究対象とする土地の地理的思惟から、あらたな方法論的体系を提示し、特に伝統的な地誌書の系譜を跡づけることを試みた。 研究を遂行しながら、中国に範をもついわゆる官撰地誌の系譜は、その特質は政治的目的による「土地の資産目録」的あるいは「地理情報の目録」的意味をもち、細部にわたる差異はあるとしても、構成上、独自性を顕著に表現したものはない。そこで、研究の重点を個人によって編纂された地誌におき、思想性を見いだす作業を試みた。主として対象を吉田東伍の『大日本地名辞書』に定め、歴史地理学者吉田東伍の歴史認識と、『大日本地名辞書』の思想的基盤について検討を試みた。 成果を概括すれば次のようである。明治という時代の画期に生きた吉田東伍の地理的思想の中心にあったものは、伝統的な国学から脱皮する方法を独自に模索しながら、一つは自治的機能をもつ村や町を行政区として位置づけることと、もう一つは、国土の版図についてその伸縮を明らかにするという国家論の立場であった。具体的な著述上の成果としては『地名の巨人 吉田東伍-大日本地名辞書の誕生』(角川書店2003年11月)、『吉田東伍前期論文・随筆選』、(日文研叢書印刷中)、科学研究費報告書として『大日本地名辞書』引用資料集の3部をあげることができる。
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