本年度は、まず昨年度末から取りかかっていた「相互承認と教育学の問題」について、それをカントの『教育学講義』の解説論文としてまとめると同時に、本年度の研究実施計画にしたがってヘーゲル関係の文献を収集し、それらに分析を加えた。 まず最初に、前者についてまとめると、(1)18世紀のドイツにおいて大学内部の学問の自由をめぐる運動において「公共性の構造転換」が確認できる、ということ、および(2)カントもこうした「公共性の構造転換」に依拠しながら、そしてさらに、ルソーの『エミール』などの影響を強く受けながら、教育学を「ディアローグ的教育学」として構想し、その構想によれば「教育」は基本的に相互承認の場であることが確認できる--その意味で、フィヒテが『自然法の基礎』において相互承認の原型を「教育」に置いたことは必ずしも偶然ではない--、ということになろう。 つぎに、後者について中間的な報告をするとすれば、(1)『法哲学』においてヘーゲルは相互承認を「家族」・「市民社会」・「国家」というように、歴史的な三段階に区別しながら体系的に論じようとしている。しかし、これを歴史的な段階とすることは現代では維持するのが困難であるものの、たとえば、「市民社会」の議論のように、カントが「人格」と「物件」とに二元化して、相互承認を前者にだけ限定したのに対して、ヘーゲルは「物件」を媒介した「人格」の相互承認ということを問題提起しており、このことは相互承認を現代的に再構成する上でも重要な論点を提供している、ということになる。この問題については引き続き考察を進めてゆきたいと考えている。
|