本年度は、関係資料の収集に努めるとともに、歴代史書に於て中華と夷狄との「接触」がどのように描写されているかを検討した。また主として、宋代の許洞『虎〓経』を取り上げ、その資料的意義と思想史的特質とについて検討を加えた結果、次の諸点を明らかにすることができた。 1.『虎〓経』については、従来、前半十巻を「合理的」「科学的」、後半十巻を「迷信的」「呪術的」と見る評価がほとんどあった。しかし、内容を仔細に吟味してみると、必ずしもそのような分断は適切ではなく、前半にも「迷信的」内容が、また、後半にも「合理的」思考が存在する。 2.また、これらは無意味に混在しているのではなく、許洞自身が、そうした両性格の統合を企図した結果、『虎〓経』が、孫呉流の権謀的兵学を根幹としつつも、その中に呪術的な「兵陰陽」兵法の要素を包摂する、との構造を持つに至ったと推測される。 3.この兵学的特質は、唐の李靖の兵学を伝えるとされる『李衛公問対』や唐の李筌の『太白陰経』などと共通しており、許洞が『虎〓経』編纂の際に、『孫子』とともに『太白陰経』を基盤にしたと宣言していることを裏付けている。更に、軍事の百科全書としての性格も、『武経総要』など後の明代の兵書に影響を与えている。 4.こうした兵学の総合化が促された一つの要因として、『宋史』外国伝、高麗に「其国俗陰陽鬼神の事を信じ、頗る拘忌多し」と見えるような近隣諸国の習「俗」や、自軍の士卒や敵の将卒の中に「迷信」に囚われている者が多いという状況が想定される。
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