この三年間、私は部派仏教資料の中にみられる大乗の痕跡を調査してきたが、その結果、二つの新たな視点が得られた。一つは部派の正当性の問題である。部派の内部から大乗という新たな思想が生まれたとするなら、旧来の声聞乗仏教を主張する比丘たちと新たな教義を主張する比丘たちの間に正当性をめぐる激しい摩擦が起こったに違いない。それでも新たな教義がつぶされずに生き延びたということは、阿含に書かれていない新しい教義でも正当と見なしうるような、なんらかの「正当性の基準の変化」がそこに起こっていたはずである。この問題を追跡した結果、部派仏教の成立こそが、大乗を生み出す基盤となった「正当性の基準の変化」の直接原因であるという結論を得ることができたのである。 もう一つの視点は、アランヤに住む菩薩たちの特殊性である。従来、大乗発生のベースではないかと云われていたアランヤ地域に住む比丘たちの実態を解明することにより、必ずしもすべての大乗菩薩の起源をアランヤに求めることは正しくないが、特定のグループに限定するなら、アランヤ住と大乗の発生に緊密な関係を想定してもよいという結論を得た。この結果をさらに発展させ、アランヤ住を重視するグループと、逆に聚落で活動することを重視するグループを厳密に分割し、それぞれの起源を別個の系統として探索していく作業が今後の課題である。
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