明治時代、日本仏教各宗派の多くの僧侶が、インド、スリランカ(セイロン)、タイ(シャム)等のアジア各国に続々と渡航、留学した。すなわち、 インド・セイロン:釈興然、釈宗演、善連法彦、徳沢智恵蔵、小泉了諦、朝倉了昌、東温譲、川上貞信、比留間宥誠、釈守愚、佐藤独嘯・清水黙爾、藤田徳明、河口慧海、堀至徳、小島戒宝、工藤敬慎、鳥家仁度、向山亮雲、吉松快祐、後藤泰俊、山上曹源、立花俊道、木村龍寛、長谷部隆諦。 タイ:生田得能。 彼らは、コロンボのウィドヨーダヤ・ピリウェナのような上座部の仏教学校で戒律、サンスクリット語、パーリ語を学んだり、インドの伝統的な学院でサンスクリット語を学んだりした。さらに日本仏教界に起こった「入蔵熱」は、川上貞信、河口慧海、能海寛、寺本碗雅等をして、当時鎖国体制下にあったチベットの探検に向かわせた。 研究代表者は、彼らの生涯を調べ、手記・論文等を分析した。その結果、このようなムーヴメントに次の四つの動機を指摘した。 (1)釈迦正伝の戒律への関心 (2)大乗仏説への情熱 (3)西洋への対抗意識 (4)国粋主義的・アジア主義的心情
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