人類史を振り返ると、社会のあり方は近代にいたって大きく、かつ急速に変化していることが分かる。近代社会には、それまでには見られなかったいくつかの特徴が指摘できる。すべての人が原則として政治の主体となる民主主義の制度、自由の理念(したがって出自に規定されていた人間の評価から業績主義への転換、および機会均等)、それと密接に関連する平等の理念、具体的には人種・民族・性別・出生・身体状況等に基づく差別の撤廃、個人の自律性を重んじる個人主義、そうした個人を崇拝対象にまで高める人格崇拝、合理主義、科学の成立、近代資本主義というシステム、などがそれである。こうした諸特徴が生まれるに際して、プロテスタンティズムの果たした役割を評価しようとしたのが、ヴェーバーとトレルチであった。しかしこの両者とも、プロテスタンティズムという一つの宗教が社会を土台から変えていったと主張しているわけではない。むしろ変化の源泉は主として社会構造的な原因に求められており、プロテスタンティズムがそこに独自な性格づけをしていったと考えられているのである。ではその社会構造的原因とは何か。残念ながらこれについて、彼らは明確な議論を展開しなかった。それを積極的に自己の考察対象としたのは、デュルケムであった。彼によれば、個々人が相互に類似し、共同体に埋没していた社会のあり方=機械的連帯の社会から、個人が相互に異質になって明確な個性を持つようになる社会=有機的連帯の社会へと歴史が動いたとき、その最も重要な要因は社会の容積と密度の増大であった。この議論は従来「人口史観」としてしばしば批判されもしたが、他のあらゆる歴史社会学的な説明理論の中では、最も整合的で考え抜かれたものである。この理論の有効性と射程とを詳細に検討し、明らかにした。
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