本研究の目的は、19世紀後半から20世紀前半の日本において、日本の伝統音楽が西洋音楽との関係の中で、どのように再認識されていったかを、特に雅楽の五線譜化作業を通して明らかにすることにある。本研究の具体的作業手順として、初年度で近衛直麿(1900-1932)の五線譜および関連する本人の言説、論考などの調査を行った結果、直麿が五線譜の中で実現しようとしたのは、当時のありのままの雅楽ではなく、復古的理想としての雅楽であることが明らかになった。次年度で東京音楽学校邦楽調査掛の五線譜(1916-1927)の作業日誌、五線譜の草稿、完成稿の詳しい調査とデジタル資料化を行った。その結果、雅楽の採譜は複数の採譜者による度重なる推敲の過程を経ていること、さらに「雅楽記譜法扣」の作成によって、雅楽の総合的理解を促そうとしでいたことなどが明らかになった。また、邦楽調査掛五線譜の内容と1903年の雅楽の録音との比較によって、雅楽のテンポは20世紀初頭には今日よりもゆっくりだったこと、フレージングは漸次細かくなって来たことなどが判明した。さらに最終年度で近衛直麿の五線譜のデジタル資料化と、『音楽雑誌』『音楽界』『雅楽』『音楽世界』など、明治から昭和初期にかけて発行された音楽雑誌に掲載された五線譜化や「邦楽」に関する言説分析を行い、伝統音楽の五線譜化と「保存」「普及」「創造」などの諸概念との関係を探った。明治から昭和初期にかけて、伝統音楽の五線譜化は、基本的に西洋の「科学的言語」で日本音楽を説明・普及する「普遍化」の一つの重要な形態であり、ある者にとってそれは同時に伝統音楽の「記録・保存」であり、また別の者にとっては自己の研究と創造性を具現する場でもあった。詳しくは報告書を参照されたい。
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