本年度は江戸に先立つ中世や後にくる近代との連続と断続を念頭に江戸の藝術思想の基本的性格を解明した。 韓国で発表したが中世隠者の美学は仏教の影響下にあり、士大夫層を核とする中国や韓国の儒教的な隠者の美学とは異なる。政治や道徳を尊重する江戸儒学思想の枠の下、「藝術」は中世武士の伝統を継承し、実用を越えた儒教的武士の理想像と結びつく教養の理念である。この藝術の表象は、中国古代の<六藝>から「文武両道」(藩校教育)を経由し、幕末の「東洋道徳、西洋藝術」(佐久間象山)の西欧科学技術へと百八十度転換した。しかし基礎教養としての「藝術」という考えは明治以降の近代化まで流れ込んでおり、美的自律性の神話に対する我々の違和感を支えてきた。 従来、江戸ひいては日本の美学研究は本居宣長らの国学系や芭蕉らが代表する隠者系、すなわち政治や道徳の軛を離脱し美的文化の自律性を尊重する思想傾向に片寄っていた。しかし、江戸思想の骨格は儒学である。 儒教的文化のヒエラルヒーでは、第一に「道」という政治・道徳の理念が尊重され、第二にその実施にあたる政治家・官僚としての武士の人間性を陶冶する古典的身心文化が「藝術」とされる。藝術は共同体の維持に関わる公共的伝統なのである。この公共性の保持と対照的な私的享楽の文化的営為が「遊藝」であり、その社会的領域が「悪所」である。この文化の三範疇化は武士のみならず農工商の三民に於いても認められる思想と制度の基本枠である。 上記認識を基礎に「観客の誕生」(『芸術学の100年』担当論文)や台湾での伝統演劇の創出を論じた論考では、江戸の「教化」から明治に於ける国民の「開化」へと啓蒙の理念そのものが組み換えられたことを、能楽のジャンルと理念の変貌を論じて示した。能楽は、江戸の礼楽思想では「音楽」であり近代化100年をへて戦後、「伝統」概念の創出と共に「演劇」へと組み入れられたのである。この間、享受層も大いに変貌した。 これらを全体的に展望したものが「変身する身心文化」及び中国での発表論文である。文化領域の価値的分類や藝術の享受層は江戸から明治へと変容した。そこで見失われたのは伝統的教養観念の持つ身心文化の全体性である。逆に身心文化と関わる伝統「藝能」が近代化の過程で要請され生まれた所以である。このように西欧の美的文化を受け止めた明治の翻訳語の「藝術」は、自ずから藝術概念が超歴史的で唯一不変の普遍的なものではなく、江戸の日本ひいては東アジアの歴史性を担い、文化の多様性と共に将来の変化の可能性に開かれていることが了解された。
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