西欧近代に成立した美学や芸術をはじめとする諸学諸文化は、遅れて近代化を遂げることになる国々に於いては、普遍的な学知やまた文化のモデルとして振る舞う。その結果、例えば日本でも江戸の美学や芸術観は、明治以降、西欧の知的精神的な芸術観の影響の下に学術の世界では忘却され、公的教養の場面ではなく、私的教養たる芸道や芸能として展開せざるを得なかった。このことに纏わる問題の構図が明瞭に自覚されて、それを解明することが、ここ10年来の日本の美学や芸術学の分野に於ける一つの重要な知的潮流となっている。もとより、この問題は日本だけでなく汎く遅れて近代化を歩む諸国に共通の政治文化的な構図である。 日本が西欧の美学や芸術観をいかに輸入し、近代化を精神面また制度面で果たしていったかを追求するためには、受容の土壌の検討が必須である。その点を扱う下記論考「江戸儒学に於ける<芸>の文化的位置づけ」は、江戸の芸術観が伝統的なハビトス論(その典型は仏教的ハビトス論としての中世芸道である。その核にある概念とイメージを「世阿弥の植物的世界観に於ける美的ハビトスについて」で検討示した。)の儒教的展開であり、その政治的文化的意味づけであることを示した。そこには中国を核とする東アジアの影響が顕著である。 西欧と東洋の一点、日本とを文化空間的に比較する従来の比較論的な視点の持つ政治性と素朴な自己中心性を超えて、東アジアの中世以前そして近世から近代、更に現代に至る芸術観の変容を、歴史的文脈の変容と共に一つの文化圏の中で歴史的に分析する必要がある。この点に関する見解を中国の二つの代表的な雑誌に載せて展開した。これらを含め、2001年夏、第15回国際美学会で日本の芸道に焦点を絞って発表し、また、2001年秋の第52回の美学会で国際美学会の報告をシンポジウムで担当し、上記の趣旨と絡む21世紀の美学の展望を述べた。
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