日本が、江戸の美学や藝術意識や社会的制度の上に、いかに西欧の美学や芸術観をいかに輸入し、近代化を精神面また制度面で果たしていったかを藝術教育の面から探求したのは、2002年の夏、中国の青島で発表した"Geidoh(藝道)as an Educational Concept-On Cultivation through Artistic Practice-"である。知育偏重の近代教育は藝術教育についても一種ブッキッシュな教養主義を招来し、公教育の分野からの伝統的な藝術実践の伝統が排除された。伝統的な藝術教育は、芸道や芸能に委ねられ、新たに私的教育の分野で芸事や習い事が成立した。上記論考が、山東大学から英語で、また中国語で浙江師範大学から、刊行の予定である。 藝術教育の問題は教育を受容する人間観の問題と関わる。「器の詩学」は、人間を器として理解する伝統を東アジアの中に探り、辿ったものである。その結果、江戸儒学に於ける<芸>と人間の文化的位置づけが解明できた。さらに、私が中心となって企画した美学会全国大会のシンポジウムでは、日本を東西の文化空間で比較する従来の比較論的な視点の持つ政治性と素朴な自己中心性を見据えて、植民地化された韓国・台湾を視野に、東アジアの近世から近代、更に現代に至る芸術観の変容を、歴史的文脈の変容と共に検討した。その報告書は、2003年の春に広島大学の委員会から刊行される。 西欧近代に成立した美学や芸術をはじめとする諸学諸文化は、遅れて近代化を遂げることになる国々に於いては、普遍的な学知やまた文化のモデルとして振る舞う。その結果、明治以降、西欧の知的精神的な芸術観の影響の下に学術の世界では忘却され、覆われた江戸の美学や芸術観-それは公的教養の場面ではなく、私的教養たる芸道や芸能として展開せざるを得なかった-を解明した。解明は基本的に歴史的構図の摘出を中心とした。
|