主として十八紀末から十九世紀のイギリスにおける美的環境造形思想と、さらにそれとアメリカのランドスケープ・アーキテクチャーとの接合関係を研究した。まず、その時期に重要となるピクチャレスクの美学(アメリカでの影響も含む)について、それが十九世紀からさらには現代にいたるまで、どのような影響をもたらしているのか、それjへの理解を論文で公表するとともに、美学会全国大会での討論の中で深めた。次に、イギリスの美的環境造形思想が伝播する中で、極めて重要な役割を果たした政治性、特にイギリスの植民地主義的なイデオロギーを解明した。すなわち、イギリスを代表する風景式庭園、ストウにおける政治性の反映・忘却、植民地主義的イデオロギーを剔抉すると同時に、イングリッシュ・ガーデンがどのような国際政治学のコンテクストで発生・展開・伝播したかを研究した。その際、ドイツ・グライフスバルト大学のゲルト=ヘルゲ・フォーゲル氏から、庭園を含む風景と政治性、ナショナリズム等に関する多大な指導を受けた。またパリ第一大学のフィリップ・ニス教授には、庭園や風景の原理的な考察について学ぶと同時に、アメリカ化する世界風景との対時峙という、本研究にとって本質的な点に関する教示を得た。さらに、国際美学会議において、美的環境造形思想のイギリス的伝統に関する比較美学的な原理的な発表を行い、内外の研究者から多くの指摘や指導を受けることができた。さらに、この成果を現代の美的環境設計に生かすという本研究の目的から、イギリス的伝統を現代のランドスケープの批評という枠内で検討するという作業も行った。
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