アリストテレース『詩学』を一貫した芸術論ととらえ、芸術を彼の哲学体系に正当に位置づけることが、本研究の目的である。その前提として、試作と歴史における行為の因果性の異同を明らかにすることが、平成12年度から引き継いだ本年度の課題であった。そのために、『嘘の衰退』におけるオスカー・ワイルドの「芸術:人生」の論を検討の参照点に選び、『ニーコマコス倫理学』第3巻および5巻を支えとしつつ『詩学』第9章における「詩作:歴史」の論との対比を試みた。すなわち、芸術(詩)は「人生」(「歴史」あるいは現実)以上に完全な形をそなえており、それゆえより美しいものとして、「人生」の範たりうるとワイルドは言う。しかし、我々の理解によれば、両者の相違は因果性の徹底度にある。ところで、アリストテレースの議論から解釈されるように芸術が現実世界の因果性を提示するものであるとすると、両者の対立は解消し、かえって芸術には、現実を美しく改善する可能性すら認められることになる。この論は第15回国際美学会議において、英語で口頭発表された。この問題について現在、D.デイヴィドソンの分析哲学的行為論における因果性の問題を探っている。彼の考えでは、出来事とはひとつの存在であり、出来事相互の間に因果性を認めることが可能である。この問題圏と芸術:現実に関する我々の考察を接続させることができれば、芸術の存在論についての我々の予備的考察は完了し、いよいよアリストテレースの存在論との関係に視点を移すことができるはずである。これが平成14年度の研究課題である。
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