研究概要 |
アリストテレース『詩学』を一貫した芸術論ととらえ、芸術を彼の哲学体系に正当に位置づけることが、本研究の目的であった。 平成13年度の研究で,詩作と歴史とにおけるできごとの存在論的分際の差を見極めた.その結果,歴史世界においてはできごと同士の因果関係が不分明であるのに対し,詩作世界ではそれが判明であることが,決定的な差であることが明らかになった。 平成14年度の研究では,「カタルシス」問題に立ち戻り,上の存在論的理解がこの問題にいかなるかかわりを持つかを再考した.その結果,かつて提唱したτων τοιουτων μαθηματων καθαρσινの読みを採用すべきことが確証された. 平成15年度の研究では,アリストテレース『弁論術』における弁論と学問的論証の比較論を参照することによって,詩作の存在論的分際を浮き彫りにした.すなわち,形式的に見て,学問的論証(αποδειξιζ)が,必然的前提から出発し必然的推論(συλλογισμοζ)による証明であるのに対し,弁論は,蓋然的前提から出発し蓋然的推論(ενθυμημα)による説得であることが,『弁論術』第1巻第1-2章の議論から明らかになった.ところで,上述のとおり,詩作とは形式的に見て,できごとの因果的連鎖を提示するものであるから,受け手に「なるほど」と思わせる一種の説得を目指す.この点で,詩作と弁論は形式的に類似している.他方,違いは内容にある.すなわち,弁論が蓋然的前提から出発するのに対し,詩作は「始め』をもつ(『詩学』第7章)ことによって,歴史世界と無関係な(それゆえ普遍的でも蓋然的でもない)前提から出発する点にある.この理解は,『詩学』第9章における(単に必然性ではなく)「蓋然性ないし必然性にそって」という言葉遺いを説明し,またそれが(前提ではなく)できごとの展開にのみかかわることを明らかにする.こうして,詩作,ひいては芸術一般が,真理探究の方途として,哲学とどのような関係に立つかに光が当てられた.
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