1.《ラス・イランデーラス》解釈の歴史はそのままベラスケス批評史に重なる一方、欧米諸国のスペイン発見やその美術の受容を考察するためのモデル・ケースを提供してくれる。 2.ベラスケスの出自は、長い間そう信じられてきたような「下級貴族(hidalgo)」ではなく、16世紀後半ポルトガルからセビーリャに移住した改宗ユダヤ教徒(judeo-converso)の家系で平民出身、公証人や不動産業を営む裕福な家柄であった事実を明らかにした。同時に、スペイン的なバロック絵画の新地平を切り開くためのベラスケス特有の現実主義とヒューマニズムの精神はそのような環境にあって初めて育まれた。 3.ベラスケス筆《彫刻家マルティネス・モンタニェースの肖像》は、その図像からして制作動悸の一端を16世紀イタリアの「パラゴーネ」論の延長上に位置付けられようが、それは絵画・彫刻の優劣論争を超えた次元で考察されねばならない。また「五感の寓意」中、視覚、触覚との関連で解釈しうる可能性が残されている。 4.国王フェリペ4世のブロンズ製騎馬像の制作が1630年代、フィレンツェの彫刻家ピエトロ・タッカに委嘱されるが、後脚のみで立つ、バロック的動勢の大騎馬像の構想には、当時マドリードの宮廷にあって話題となったレオナルドの通称「マドリード手稿」が関与していたと推察される。 5.ベラスケスの宮廷肖像は、16世紀以降のスペイン宮廷肖像の伝統となったフランドル系とヴェネチア系の2系譜を総合しようとするものであった。
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