今年度は、まず、実業家・安田善次郎の手記や様々な記録をもとに、安田という一人物のライフヒストリーを、可能な限りミクロな視点で構成した。結論のみを以下に記す。安田は、いわば個人的な才覚本位の明治期において経済的成功を勝ち得た者が、社会的な圧力やルサンチマン、相対的不満などをいかにかわすかという大きな課題に、いわば正面から取り組んだ実業家であった。成功者による、社会的圧力をかわす戦略、富や成功の隠蔽、不幸・貧乏ぶりといった文化が、明治期日本に具体的な形をとって現れたが、その典型例が安田であり、茶の湯等の清貧ハイカルチャーであった。清貧ぶりを装い、リッチなイメージを隠蔽する一方で、金持ち文化としての威信を保つという微妙なバランスのなかで彼らの文化は成立した。 また、茶会文化などといった実業家のハイカルチャーが、昭和期から戦中・戦後の時期を通じて終焉していった様子を様々な文書資料から調査した。結論のみを以下に記す。戦前には書画骨董類を誇示する実業家文化が、三井幹部・益田孝らを中心に財界人のあいだで広がりを見せた。しかし、時局が戦時体制へと進むなかで、彼らの文化は隠遁的な自己満足の文化へと傾斜していき、戦後に財産税が導入されることによって、彼らは自己の書画骨董コレクションを財産税の納税や生活費の捻出のために手放していった。また、小林一三たち、実業家文化の最後の世代は、それぞれが独自の思惑で、自ら贅沢な茶事文化から距離をとっていった。こうしたプロセスにより、実業家のハイカルチャーは終焉を迎えた。
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