研究課題/領域番号 |
12610187
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研究機関 | 兵庫県立看護大学 |
研究代表者 |
岡元 行雄 兵庫県立看護大学, 看護学部, 教授 (90177098)
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研究分担者 |
福留 留美 兵庫県立看護大学, 看護学部, 助教授 (40295754)
松浦 和幸 兵庫県立看護大学, 看護学部, 教授 (80254465)
長屋 昭義 兵庫県立看護大学, 看護学部, 教授 (00076382)
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キーワード | 阪神・淡路大震災 / 北淡町 / 宮島地区 / 祭り / 厄年 / 壇尻 / 町内会 / 都市計画 |
研究概要 |
平成13年度は富島八幡神社の調査をした。富島八幡神社の氏子は、富島東、富島中町、富島西、水越から各2名、石田、岡畑、浅野南から各1名、仁井本村などから3名となっている。壇尻を持っているのは、富島東、富島中、浅野南、水越の4地区だけである。岡畑は15年ほど前から壇尻を出していない。震災で壇尻小屋がつぶれ、土地は借地で地主に返還した。この地区は28世帯で壇尻の維持が困難な状況にある。石田は震災前まで壇尻を出していたが、震災で壇尻小屋と壇尻が壊れた。壇尻は資料館に寄付した。仁井は震災まで壇尻を出していたが、壇尻小屋が震災で倒壊したため、壇尻も壊れてしまい売却した。土地は借地で地主に返還した。八幡神社も社務所や鳥居、本殿、玉垣などが被害にあった。このように、祭り関連施設の被害は甚大であった。平成7年の正月、厄年の人たちは八幡神社でお祓いを受けた。しかし、その後に震災が起こり、その後の神事は取りやめとなった。平成8年度の厄年の人達は、平成8年の秋に神輿を担ぐ形で祭りを実施したが、壇尻は一切出ていない。平成9年の秋に水越と浅野南の壇尻が出て、祭りが再開された形となったが、'震災の被害の大きかった富島からは壇尻の参加はなかった。平成10年以降に富島東、中町から壇尻が出てきた。しかし、富島東と中町は、秋に壇尻を出し、浅野南と水越は春に壇尻を出すことが多くて、4台の壇尻が勢揃いする形の祭りは平成14年の秋にやっと実現する可能性が出てきたくらいで、祭りは盛り上がりに欠ける。富島と浅野、仁井は激震地で、一部の地区は都市計画の関係で地域の人間関係が悪くなった面もあり、人口減などの要因も加わり、地域社会としてのまとまりが弱くなっている。地域が必ずしも八幡神社の氏子ではないとか、小学校も3校にまたがるなど、育波や室津とは違った困難な要因もあり、また、厄年の同級生も男性だけの参加で他地区のように女性の参加がないことなどもあり、祭りを通してのコミュニテイ作りは、他の地区ほど有効ではないようである。
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