研究概要 |
本研究の目的は、1990年代より日系ブラジル人の集住が始まった愛知県豊田市H団地が、この十数年にどのような変容を遂げ、どのような方向に向かうのかを明らかにすることであった。H団地は、集住当初よりさまざまな問題が発生し、それを地域自治区の役員が中心となって解決してきた。自治区はこれらの問題の解決を行政や愛知県住宅供給公社、住宅都市整備公団などに要望してきた。しかし、他の日系人の集住地と異なり、豊田市では行政によって放置されてきた点が否めない。日系人と地域住民との関係は、この間、摩擦、葛藤、一時的な「共生」そして再び暴力事件が勃発し、警察権力の介入があり、ようやく行政が重い腰を上げたところである。日系人が集住していることによって、起こされる問題とそれによって地域の重要な課題となった様々な問題は、既に一自治区の手におえるものではなくなって久しい。居住可能人数1万人のH団地に、日系人の数は現在約3,800人にも達したといわれる。「問題」は、(1)日系人の生活習慣に属するもの、(2)日系人自身に関するもの、(3)日系人と日本人住民の関係に関するもの、そして(4)日系人支援組織に属するもの、(5)行政、県公社、住宅都市整備公団に関するもの、などに分類できる。筆者は、これらの問題の解決に当たる主体について考え、そしてこれらの問題の発生の原因を追及してきた。(1)に関しては、日系人住民の生活習慣が日本人住民の生活様式に合致しないことからおこることであり、騒音、ゴミの分別廃棄などが代表的である。(2)については、医療問題と子どもの教育問題があり、特に後者については、日本人ボランティが心を痛めた。多くのボランティア組織や制度が形成され、援助活動をおこない、一定の成果を上げている。また、これらの組織は自治区役員からもオーソライズされ、自治区行事には一緒に参加したり、相互に支援体制が形成されている。(3)については、自治区役員と一般住民との間に、日系人に対する感情に相違がみられる。一般住民は自治区役員より、日系人に対して具体的な事実にもとづく「迷惑感」「被害感」が強い。しかしそれでもなお、日系人の子どもの教育に関して「憂慮している」などの意識もある。「これ以上増えてほしくはない」という率直な気持ちを持ちながら、積極的に問題解決を要求するのではなく、自ら諦めてH団地から「退出」してしまう例も多い。こうした一般住民の「退出」が多くなると、自治区活動の「主体」が喪失されてしまう。(4)日系人支援組織は、形成過程や活動過程で問題を起こしながらも徐々に蓄積され、活動は継続され、一般住民に理解されつつある。(5)に関しては、この十数年、多くの要望がされてきた。ハード面では公園の整備などが実施された。しかし入居制限などの要求は実現されていない。日本人住民の生活権は守られていない。これら多くの問題を含みながら、H団地は外国籍住民を排除してはいない。しかし、統合にも至っていない。住民の意識の変容とともに、地域は確実に変容している。これらが本研究で明らかになった点であり、これらについては以下の論文などに記した。
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